りんごの話 日本の「ふじ」から世界の「ふじ」
人間生活と植物:くだもののある暮らし 第3回講義資料から 抜粋
「ふじ」の原木:1994年10月農水省果樹試験場盛岡支場 (現:独法 農業技術研究機構果樹研究所リンゴ研究部)

 2001年11月撮影

独立行政法人農業技術研究機構果樹研究所リンゴ研究部にて

「ふじは」,生誕60年を超え,還暦が祝われました。

この1本の原木から世界中に広がったのです。

 

1997年撮影 ブラジル・SC州・サンジョアキン試験場にて

 

  わが国のリンゴの経済栽培は,明治初期に欧米から品種を導入することから開始されました。当時導入された有名なものには,「国光」,「紅玉」,「旭」などがあります。

 国光(Ralls-Janet)は1800年ごろにはバージニア州(USA)のCaleb Ralls園にあったとされ,別名(Synonym)が多く,59もあります。経済栽培は現在日本のみ残っているといえます。

 紅玉(Jonathanは,明治4年導入され,昭和30年後半まで主力品種であり,酸味・食味良好な美味しいものです。

 旭McIntosh Red)は Canadaオンタリオ産の紅リンゴです。あるPCの商標にもなっています。

 国光・紅玉の黄金時代が続きましたが,紅玉はデリシャスの着色系枝変わりとして発表(ニュージャージー州で発見)され,昭和35年ころから増殖されたスターキングとその仲間(デリシャス系)に主力の座を追われた(最大時は30%以上のシェア)。その後「ふじ」や「つがる」に代わる。国光は,ふじに代わる。

 「つがる」 早生種:昭和5年青森県りんご試験場でゴールデン・デリシャスに不明(ラベル落ち)から育成。昭和18年命名。弘前大学の研究(DNAフィンガープリント法)で,花粉親は紅玉と判定された。長野県で8月下旬,青森県で9月中下旬収穫。

 「ふじ」は,1939年に園芸試験場東北支場のあった藤崎町で交配(国光×デリシャス)。1959年の試験場移転に伴い,改植し,盛岡市果樹研究所リンゴ部に現存。1962年命名。晩生種で,果汁多く,甘味強い,蜜が入る。冷蔵で2月下旬から3月まで,CA貯蔵(高炭酸ガス低酸素条件)ではもっと後まで貯蔵可能。今やわが国の50%以上の栽培面積で,世界的にも増殖の傾向にある。第2のトヨタ「TOYOTA」か?とまで報道された。命名は,富士山,藤崎町からといわれているが,女優(ミス日本)の山本富士子さんのファンであった育成者の一人の気持ちも入っているとされる。

 話題を換えて,日本のちょうど反対側のブラジルでもリンゴ栽培が行われています。1960年代には輸入国であったブラジルで,21c始めには60万tを超える生産が可能になりました。それも,半分くらいは「ふじ」なのです。

 「ふじ」がそこまで増加したのには,左下の銅像で顕彰されている日本人の農業技術専門家(後沢憲志氏)の功績があったからです。後沢氏は,現在のJICAから1971年に派遣されて,ブラジル国内でのリンゴの適地を調べ,サンタカタリーナ州の標高1100m以上の高地に適地があると判断し,サンジョアキン市周辺(標高1400m)を適地と評価し,日系人が入植し,飛躍的に栽培が増大しました。それ以後,多くの派遣専門家が,栽培その他に関わる問題解決に技術協力を行ってきました。

 1996年12月から2001年11月までの5年間,サンジョアキン試験場を中心に「南ブラジル小規模園芸研究計画」として,プロジェクト方式の技術協力が行われました。

続き:その2