アグリ支援機構 宇都宮大学農学部

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コラム
社会理解し生き方確立

  1970年代初頭、反戦、公害反対、学費値上げ粉砕、大学解体などのスローガンが踊る東大駒場(教養学部)キャンパス。本来ここで二年間を過ごし、本郷の専門学部キャンパスに移るべきところ、当時は三年、四年目の留年生がゴロゴロしていた。かくいう私もここで四年間を費やした。今から考えるととんでもない時代だったかもしれない。あらゆる権威や価値を徹底的に疑うこと、まずは否定してみること、教わるよりも自ら学び取ることが、われわれの基本姿勢であり、大学解体とは、立身出世の道具と化した学問の否定、そんな学問の象徴的権威としての大学に対する異議申し立てであった。そうした立場に立てば、授業でいい成績をとり、すんなりと専門学部に進学していくことは、既成権威への安易な妥協となりかねない。元来勤勉とは言えない性分で、落第の理由が自らの怠惰に帰するのは否めないが、当時の風潮が怠惰を弁護してくれたのも事実であった。  

ゴミ袋対策実験中の様子とカラス

●大学以上に重要

しかし一方、学問そのものを否定したわけではない。社会のさまざまな矛盾に正面から立ち向かい、新しい世界を創り出すための学問を求めたのである。したがって、授業をさぼり、落第を繰り返しながらも、自ら求める学問には真摯で貪欲であった。多方面の書類を渉猟し、新しく仕入れた知識や理論を仲間と披歴し合った。今思えば、そうした喫茶店や安酒場での仲間との議論が、私にとって大学キャンパス以上に重要な学問修行の場であった。世界はどう成り立ち、社会はどういう原理で動いているのか、その中で自分はどう生きるのか。そうした問いに答えるための実践が学問であった。落第の二年間はけっして無駄ではなかった。ただ、あまりにも傲岸不遜、世界に一人で立ち向かい、新しい学問をゼロから創造するような気分でいたのは気恥ずかしい。やはり学問とは蓄積の継承の上に発展するもの、素直に学ぶことが大事だと実感するのに少々時間をかけすぎた。  

●「自ら学び取れ」

  ともあれ、こんな私が大学に残って教員を務めている。かつて自らが否定した存在になっていないかと自戒し、改革の志と学問への姿勢の持続を意識しながら、学問の意義と面白さを学生に伝える実践と、大学のあるべき姿への模索を続けている。道は遠いけれど。この間、「立身出世」がほとんど死語となりつつも、安定的な高収入を得る職業に就くにはいい大学に入らねば、という偏差値信仰が脅迫観念的に広がった。今の学問は、いわばカネのための学問、点数のための学問となったかのようである。いい職業に就くために勉強することを否定しはしない。しかし、仕事をしてカネを稼ぐとは、職業を通じて社会に貢献することにほかならない。つまり、社会・世界に関する十分な理解の上に、その中で自分自身がやれること、やりたいことを見定める過程が重要なのであって、若者にとって学問とはそのためにこそ必要なのではないだろうか。私の所属する宇都宮大農学部環境工学科に関して言えば、数年来この分野の職業技術者教育として全国有数の教育体制を整えてきたと自負しているが、社会と自分との関係の確立について教えることには限度がある。これはやはり個人が自ら培うもの。自ら社会で生きていくために、若者よ、自ら学べ、学び取れ。  
掲載
(2005年6月26日 下野新聞掲載)
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